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「申し訳ありません。おっしゃる通りです。完全に私のミスです。」 「今度こそ、ご希望通りに仕上げます!」 「ご指摘ありがとうございます。原因が分かりました!」
いったい何度、この言葉を聞いただろうか。 いや、正確には「読んだ」と言うべきか。
実はこれ、最近私が頻繁にやり取りをしている「AI」からの返答なのである。 私が趣味の音楽でやっている動画に使う画像を作ってもらおうと、AIに写真を渡してお願いしたときのこと。
「この写真はそのまま使ってくれ。顔も絶対に変えないでね。」
すると、AIは実に頼もしい返事をしてくる。
「承知しました!元の写真を一切変更せず、忠実に仕上げます!」
よしよし。なかなか話が分かるヤツではないか。 ところが、出来上がった画像を見て驚愕した。 私の顔が、まったく知らないオッサンになっているではないか!
「おい!誰だ!これは!」 「申し訳ありません!次こそ必ず!」
そして、再び出来上がった画像を見ると…。 また微妙に違うオッサンが登場するのである。
「だから!顔を変えないでって言ってるでしょ!」 「おっしゃる通りです。私の認識が甘かったです!」
もう、いい加減にしてくれ。(^^;)
しかし、考えてみれば不思議なものである。 相手は人間ではない。ただのコンピューターだ。 それなのに、私は画面に向かって腹を立て、文句を言い、時には感心し、時には笑っている。 つい数年前まで、こんな時代がやってくるとは思いもしなかった。
さて、先週の藤田先生の「ノリノリ通信♪」をご覧になっただろうか。 なんと、過去184本、約30万字もの文章をAIに読み込ませ、藤田先生の文章を再現させたというのだから驚きである。 しかも、通信の途中までAIが執筆していたという種明かしまであった。
いやはや、恐れ入った。
もっとも、30万字という膨大な文章のうち、 どれだけの文字数がコンビニスイーツに費やされていたのかについては、今度AIに分析してもらおうと思う。(^^ゞ
そんな藤田先生の「ノリノリ通信♪」には、AIの便利さと同時に、 人間が考えることを放棄してしまう危険性についても書かれていた。
まったく同感である。
しかし、私はこの「AI」というものについて、少し違った角度からも考えてみたい。 そもそも、AIが進化すると必ずと言っていいほど話題になるのが、
「いつかAIが人間を支配するのではないか?」
という話である。 思い出すのは、やはり映画「ターミネーター」。 1984年に公開されたこの映画では、人工知能が人類を敵とみなし、機械と人間との戦争が繰り広げられる。 当時は、まさにSFの世界。 ところが、今や人工知能が我々の日常生活に入り込み、 文章を書き、絵を描き、音楽を作り、さらにはプログラムまで作ってしまう。 確かに、映画の世界が現実に近づいてきたようにも感じる。 しかし、私はどうも、この「AIが人間を支配する」という話に違和感を覚えるのだ。 なぜ、AIが人間を支配したがるのだろうか。
世界を征服したい。 誰よりも偉くなりたい。 他人を自分の思い通りに動かしたい。
これって、本来、全部「人間の欲望」ではないだろうか?
そもそも人類の歴史を振り返ってみれば、土地を奪い、財産を奪い、 権力を争い、数え切れないほどの戦争を繰り返してきたのは、 ほかでもない人間自身である。
そして今、その人間が、自分たちの作り出したAIに対して、
「いつか我々を支配するつもりではないか!」
と恐れている。 なんとも皮肉な話だ。
もちろん、現在のAIに人間のような支配欲があると確認されているわけではないし、 今後どのような進化を遂げるのかも分からない。 高度なAIが、人間の意図とは違う行動を取ってしまう危険性も、決して軽視してはいけないだろう。 ただ、私は、AIが自ら世界征服を企むという話よりも、もっと身近で現実的な問題があると思っている。 それは、
「AIを使って、人間が人間を操ること」である。
今では、本物と見分けがつかないような偽の写真や動画を、AIで作ることができる。 実際には発言していない言葉を、まるで本人が話しているかのように見せることだってできてしまう。 それを見た人が信じ込み、怒り、誰かを攻撃する。 場合によっては、世の中の大きな流れさえ変えてしまうかもしれない。 しかし、ここで考えてみたい。
嘘の情報で人を騙す。 都合の悪い事実を隠す。 人々の不安を煽り、自分たちに都合の良い方向へ誘導する。 こうしたことは、AIが登場するずっと以前から行われてきたことではないだろうか。 つまり、AIという新しい道具を手に入れたことで、 人間が昔から持っていた「良い部分」も「悪い部分」も、 さらに大きな力を持つようになったということなのだろう。
私は、AIそのものを必要以上に恐れるよりも、 それを扱う人間の在り方を考える方が、ずっと大切なのではないかと思う。
ところで、もう一つ。
実は、私たちはすでに、知らず知らずのうちにコンピューターの判断に大きな影響を受けている。 例えば、YouTubeやAmazonなどでの買い物もその一つだ。 何か一つ動画を見終わると、次から次へと「あなたへのおすすめ」が表示される。 何か一つ興味をもって調べると、Amazonなどがそれに関係する商品をおすすめしてくる。
「おっ!これも面白そうだな。」 「あ、これ必要だった!」
そう思ってクリックすると、また次の動画や商品が出てくる。 気がつけば、そんなこんなでアッという間に時間が過ぎる。
「あれ?最初は何を調べようとしていたんだっけ?」
なんてことはないだろうか。
少なくとも私は、しょっちゅうある。(^^;)
考えてみれば、自分で好きな動画を選んでいるつもりが、実はコンピューターに選ばれた動画を見続けているわけだ。 これだって、ある意味では人間の行動が機械に左右されていると言えなくもない。 もっとも、私の場合は、古いロックバンドのライブ映像ばかり表示されるので、世界征服とは程遠い話なのだが……。(^^ゞ
さて、話を戻そう。
先週の「ノリノリ通信♪」では、AIが何でもやってくれるようになれば、 人間は考えることをやめてしまうのではないか、と警鐘を鳴らしていた。
確かにその通りだと思う。
しかし、私は逆に、AIの登場によって、人間は今まで以上に「考えること」ができるようになるのではないかとも思っている。 例えば、これまで専門的な知識がなければ手を出せなかったこと。 プログラミング、映像制作、デザイン、外国語によるコミュニケーションなどなど。
今ではAIに相談しながら、まったくの素人でも様々なことに挑戦できるようになってきた。 もちろん、何でも簡単にできるというわけではない。 実際、私もAIを使っていると、思い通りにいかないことの方が多い。
「こういうものを作りたい。」 「いや、ちょっと違う。」 「もっとこういう感じにしたい。」 「だから!そうじゃないって!」
結局、AIと延々と言い争っている。(笑) しかし、よく考えてみると、これはなかなか面白いことではないだろうか。 自分の頭の中にあるイメージを、どうすれば正確に伝えられるのか。 出来上がったものの、どこが違うのか。 何を変えれば、もっと良いものになるのか。 そうしたことを、何度も何度も考えることになる。
つまり、AIに考えることを任せているつもりが、実は自分自身も相当頭を使っているのである。 そして、AIのおかげで、今まで思いつきもしなかった新しい発想に出会うこともある。 一人で考えていたら、きっとそこまでたどり着かなかっただろう。 そう思えることも少なくない。
私は、AIの本当の魅力は、単に人間の代わりに仕事をしてくれることではなく、
「人間の可能性を広げてくれること」
にあるのではないかと思っている。
さて、ここからは少し、子どもたちの勉強について考えてみたい。 AIがこれだけ発達したのだから、もう勉強なんかしなくてもいい。 分からないことはAIに聞けばいいし、計算も翻訳も文章作成も全部やってくれる。 そんな考え方も、これから増えてくるのかもしれない。 しかし、本当にそうだろうか。 例えば、AIが何かの質問に対して、間違った答えを出したとする。 その答えが正しいかどうかを判断するには、当然ながら自分自身に知識が必要になる。 何も知らなければ、どんなにおかしな説明でも、
「へぇ〜、そうなんだ!」
と信じ込んでしまうかもしれない。 しかも、AIは時々、実に堂々と間違えるのである。 これが厄介だ。 知らないことを「知らない」と答えてくれればまだ良い。 ところが、まるで何十年もその道を研究してきた専門家のような口調で、もっともらしい説明を始めることがある。 そして、こちらが間違いを指摘すると、
「おっしゃる通りです!」
と、これまた堂々と謝罪する。
いや、さっきまでの自信は何だったんだ!(笑) だからこそ、私はこれからの時代、今まで以上に「基礎学力」が大切になると思っている。 知識があるからこそ、疑問を持つことができる。 疑問を持つからこそ、調べようと思う。 調べることで、また新しい知識が身につく。 そして、その知識が、さらに新しい疑問を生み出していく。
本来、勉強というものは、そうやって世界を広げていくものではないだろうか。 私が子どもたちに身につけてほしいのは、単にテストで高得点を取るための知識だけではない。 物事を様々な角度から見つめ、自分の頭で考え、自分なりの答えを導き出す力。 そして、時には自分の考えが間違っていたことを認め、新しい考え方を受け入れる柔軟さ。 そうした力こそが、これからの社会を生きていく上で、ますます重要になっていくのだと思う。 AIがどれほど進化しても、子どもたち一人ひとりが歩んでいく人生は、それぞれ違う。 何に感動し、何に喜び、何に悩み、どんな人間になりたいと思うのか。
その答えまで、AIに決めてもらう必要はない。 自分の人生は、自分自身のものなのだから。 そう考えると、我々教育に携わる人間の役割も、これから大きく変わっていくのかもしれない。 ただ知識を教えるだけでなく、子どもたちの好奇心を刺激し、 考える楽しさを伝え、自分の力で未来を切り開いていくための手助けをする。 そんな教育が、これまで以上に求められる時代になるのだろう。
さてさて、随分と真面目な話になってしまった。 人類が作り出したAI。 果たして、この先どんな未来が待っているのだろう。 私には分からない。 しかし、少なくとも、恐れて遠ざけるだけでは何も始まらないと思う。 新しい技術に触れ、失敗し、考え、学び、そして自分なりの使い方を見つけていく。 大切なのは、便利な道具に使われるのではなく、自分の意思で使いこなすことなのだ。
AIに何ができるか。 それも大切だが、
「AIを使って、人間が何をしたいのか。」
私は、そちらの方がずっと重要だと思っている。
さて、そろそろお別れのお時間です。 ようやく秋らしい気持ちの良い日が続いておりますが、インフルエンザも流行っているようです。 皆様、どうぞお身体に気を付けて、良い週末をお過ごし下さい。
それでは、また次回のウッチー通信でお会いしましょう!(^o^)/
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